青春の1ページ・京都

 

# 学生時代

# 一人暮らし

# 京都の理由

# 鉄拳

# まさかの

 

 

皆さんこんにちは。
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 

もう季節は春。
春と言えば卒業と出発が交差する季節です。

 

娘も受験を終え、合否はまだ分かりませんが
我が家は「一息」ついた状態。

 

受験前から嫁&娘からの要請(指示)があり、
受験の後の12日の午後より、京都へ連れて行ってとの指令を受けました。(ビシッ)

 

京都タワーのイベントに参加した娘と嫁。

 

 

私はいつものように「専属ドライバー」として駐車場で待つこと約3時間。

 

久しぶりの京都でその時間、自分と京都について、思い出していました。

 

 

思い起こせば私自身、柄にもなく高校が進学校だったこともあり、
高校を卒業した後、初めて一人暮らしをしたのが京都でした。

 

季節も丁度、今と同じ春の頃でした。

 

高校時代、ろくに勉強もせず一番楽しかったのはクラブ活動と仲間との遊び、
3年生になっても真面目に進学のことも考えずにいました。

 

 

ある日、担任の先生が進路を相談したいので、
親と一緒に面談すると言われました。

 

自分では進学を希望する気持ちはあったものの将来に対して明確な目標もなく、
まったくふざけた話ですが「みんなが進学するから」と言う気持ちもありました。

 

先生との面談は当時まだ若く、短気で怒りやすい親父と一緒。

 

先生が僕に進路の希望を聞くと、私は「京都の大学に行きたい」と話しました。

 

すると先生から当然、「なぜ、京都なの?」と聞かれました。

 

自分としては進学したい大学のいくつかが京都であったことは確かなのですが、
実はそれ以外にも「理由」が

 

それは高校2年生の時、好きになった女の子がいて、ずっと片思いの時間を過ごしました。

 

 

何度も何度もアプローチをして、高3の秋にやっとの想いで少し距離が近づきました。

 

学校からの帰りの時、一緒に帰ったり、たまに喫茶店で話をしたり、とても真面目なお付き合い。

 

当時はそんな付き合い方が標準だったような気がします。

 

そしてその彼女に進学のことを聞くと「京都の大学に行きたい」とのこと。

 

今も高校生の時も同じで、やはり私は「あほ」なのでしょう、
その話を聞いて「好きな彼女が京都に行く」しか頭になく、
その面談の時、親父が傍にいることも忘れ、先生に「○○さんが京都に行くから
と答えた瞬間!!!

 

横に座っていた親父の「怒りの鉄拳!」が私の顔面に強くヒットしました。

 

 

(親としたら当たり前ですよね)(-_-;)

 

先生が割って入ってくれたお陰で「2発目の鉄拳」は避けられましたが、
横で先生も苦笑いをされていたことを今でも覚えています。

 

そんな出来事もあり、その後、大学受験も終わりました。

 

念願の京都の大学を2つ受験しましたがどちらも不合格。
何とか親にお願いと説得を繰り返し、京都の予備校へ1年だけ通わせて貰うことになりました。

 

学生の街でも知られる京都では、住むところを見つけるのがとても大変。
親父もおふくろにも本当に面倒を掛けました。

 

なんとか京都大学の近くで、東大路丸太町という所の学生アパートに入居することになり、

 

いよいよ自分一人の新生活が始まることになりました。

 

 

人生においてはやはり神様は人に試練を与えたいのでしょうか
私が京都にこだわった大きな理由の一つ、
好きな彼女が京都の大学に行くはずでしたが

 

あ~~、なんという試練でしょうか。

 

最終的に彼女は京都ではなく「大阪の大学に進学」と言うことを
私は京都に住むことになってから知りました。😢

 

こうして私と京都の繋がりは「とてもとても苦い」スタートでした。

 

世界的な観光地を毎日、通りながらアルバイト先へも通いました。

 

京都は学生の街としても有名で、そんなくらしを堪能したりもしました。

 

京都は条里制の町並みなので、1年間の居住でほぼ主要道路も覚えることも出来ました。

 

今思えばとても恥ずかしい記憶ですが当時、私の髪形は経済的な理由と流行ということもあり、
肩まで髪の毛がありましたね。(爆笑)

 

 

京都駅の近くの駐車場で淡い、昔の記憶をたどる私でした。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。
私の青春の1ページのお話でした。