息子へのメッセージ・○○からの卒業

 

#卒業式

#親の役目

#「それはうそやん!」

#マンダラチャート

#無謀な挑戦

#無敵女系家族

#本気スイッチ

 

 

世界中を虜にしたWBC・侍ジャパンの優勝の余韻が冷めやらぬ3月23日の朝、
菜種梅雨の小雨の中、小学生の息子・陽(ひかる)の卒業式がありました。

 

上の娘の時と同じように夫婦で卒業式へ参加する事にしました。

 

息子が通ったこの小学校は田辺市立・三栖小学校。
先に卒業した2つ上の娘と合わせて8年間お世話になりました。

 

本来なら居住区でもある上富田町内の学校へ通うはずでしたが、
家内の勤務先やその他の状況もあり、家内とその実家とも相談し、こうなりました。

 

正直、私にとっては完全アウェイな地。
娘の初めての運動会の時はなかなか馴染めなく、
自分の居場所がどこにも見当たらず寂しい想いをした記憶もありますね。(笑)

 

息子の卒業にて、お世話になったこの小学校ともこれでお別れという事になりました。

この6年間、息子も様々な経験をしたことでしょう。


卒業式の後、先生が私に
「お父さん、陽君はとっても人気者でいつも愉快なお子さんでした。
明日から会えないと思うとすごく寂しくなります」
と言ってくださいました。

 

なかなか、家では見せない一面で「この子なりに頑張ったんやなぁ。」と感じました。

 

お陰様で私たち夫婦も子供の教育の通じて色々と勉強させて貰いました。

 

「親の役割は、将来、子供が自立出来るように育てる事」

 

 

たしか数年前の小学校の先生方との個別面談の時に私はこう話しました。
(随分上から目線な発言ですね)

 

私としては子供を育てる上で家庭・親の役割と
学校での先生方の役割について話したかったのですが

 

こう切り出して息子の担任の先生に「ドン引きされた」のを今でも覚えています。

 

私の子供の様な年ごろの先生にとっては「面倒くさい親」と映ったかもしれませんね。

 

息子は6年間、多少、いやな事があっても学校だけは頑張って行ってくれました。
身体つきは写真のようにいいように言えば「コンパクトに育てた・小さい子供」ではあります。
ただおかげで今回の卒業式もこれまでの運動会でも探しやすい体格ではありましたね。(笑)

 

過去には何度か学校でいじめられたこともあったようで、

悔しそうな顔をして帰ってきたこともあります。

 

でも、いじめられたからと言って次の日、学校を休むことを息子はしませんでした。
息子は息子なりに何かを感じ、戦ってここまで来たのだと私は思います。

 

卒業式の中、息子の姿を見ながら私は自分自身の当時の事を思い浮かべていました。

 

よく業界の後輩たちに私の子供の頃の話をすると

「中松さん、それは嘘やん!」

「いやいや、そんなことないです!」

必ずこう言うリアクションを取られるのですが、
私の小学生の頃は今とは正反対、全くあかん子供だったと覚えています。

 

暗い感じではなかったですが、さほど活発でもなく、どちらかと言えばいじめられる方、
人前に出て何かをすることも出来ず、全く目立つ存在ではありませんでした。

 

そんな自分に6年生の時、嫌気を感じ、自分でも「何とかせんとこのままじゃ人生つんでまう!」
と当時の私は真剣に思い、小学校の卒業に照準を充てて
「自分改革」にチャレンジすることを決めました。

 

当時、わが中松家は今は亡き無敵&最強おかん、含めて個性的な姉妹が3人の完全女系家族、
親父は無口で家庭の事には無関心な所もあり、頼れる男兄弟もなく孤軍奮闘の毎日でした。

 

今、この年になって思い起こせば少し笑い話にも感じますが、
その時の自分は「真剣」そのものでしたね。

 

記憶をたどれば

自分に自信を持つ事

人の前で下を向かない

人の目線、声を気にしない

チャレンジする気持ちを持つ

 

当時、12歳の私はこんなことを考えていました。

 

もちろん、私は大谷翔平選手のようにマンダラチャートも作っていませんし、
何度も心が折れながらの挑戦でした。

 

簡単に思うようにはいかない時間を送っていた中、
中学校に入った直後「最大のチャンス!」が目の前に訪れました。
進学後、中学校で生徒会の役員の選挙が始まったのです。

 

1年生でも立候補できると聞いた私は「覚悟」を決めて無謀にも入学直後、
同じ小学校から進学した仲間以外、誰も知らない状態で
なんと生徒会長に立候補したのでした。

 

また、私の2つ上の姉が中学入学と同時に病気で2年間の入院生活を送ることになり、
なんと私が中学校進学と同時に復帰し、面倒くさいことに同級生となりました。

(姉妹の中でも一番、うるさい姉)

 

立候補したその日、家に帰るとその姉が大騒ぎ!
他の姉妹も参戦し「恥ずかしいだの、格好悪いだの」さんざん言われました。

 

普通なら、応援するのが当たり前ですが、確かに私の挑戦は無謀だったのは確かです。

 

姉妹が騒ぐ中、腹をくくっている私は次の日から選挙活動を黙々と始めました。

 

人前に立つと顔を真っ赤にし、何も喋れなかった小学生時代の私が、
中学進学直後に300人以上の全校生徒の前で立候補の演説もしました。

 

生徒会長へ立候補したのは私を含めて4名、3年生が2人、2年生が1人。
もちろん私の心中は正直な所、「当選するはずがない!」ことは承知。
私がこの時にしたかったことは自分自身でも嫌だった小学生の自分からの「卒業」。

結果よりもチャレンジすることで何かが必ず変わると言う決意を、自分で試したかったのが本心です。

 

選挙の結果、当然私は落選しました。

 

しかし、驚いたことに4人中、2番目の投票数を頂きました。

 

その後、同級生はもちろんクラブ活動の先輩からも
「お前頑張ったな!」と言って貰えた時、
自分自身の心の中で何かが変わったことを確信しました。

 

人は面白いもので、何かのきっかけをつかむことで大きく変わることが出来るのが
自分の挑戦を通じて良く分かりました。

 

そして私はこの出来事を経て、少しずつ現在のキャラに形成されて行くのでした。

 

自分の回想話ばかりで長くなりましたが、
私は息子に同じことをしなさいと言うつもりは全くありません。

 

人に何か言われたくらいでは人間はそうそう、変わることは出来ないからです。

 

馬を水辺に連れていくことは出来るが、水を飲ますことは出来ない。
結局、自分の本気スイッチを押せるのは自分でしかないのですね。

 

陽よ、中学校へ行き、今しかできない経験をたくさん積んで、
優しくもあり、
強くもある男になれるように頑張ってください!

 

汗も涙もいっぱい流し、嬉しいコト、辛いコトを一緒に感じてくれる友達に出会ってください。

 

そしてお前がこの先、自分の何かを変えたいと思った時、
お前の本気スイッチを押す、お手伝いはしてあげられます。

 

 

いつもながら長い文章、最後までお読みいただきありがとうございました。