エネルギーの補充・久しぶりの再会

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# 大津プリンスホテル

# 全国事業拡大キャンペーン

# 松下幸之助商学院

# 全寮制・4人部屋

# 苦手な先生

# 最低の生徒

# 恩師

# 私たちの使命

 

 

皆さんこんにちは。
ブログの間が少し空いてしまいました。

 

今回のブログは私にとっては毎年恒例のお気に入りのイベントのお話になります。

 

6月19日月曜日から21日水曜日午前中まで、足掛け3日間、
滋賀県の大津プリンスホテルに滞在していました。

 

 

って、こういう風に書くと
「へえ~、大津プリンスって贅沢な所やね」となりますが、
決して自費ではなく「キャンペーン入賞の授賞」でパナソニックに招待されたからです。

 

 

滋賀県草津市のとても広大な場所に、パナソニックの工場がひしめいている所があります。
その一角に私たち、町のでんき屋の後継者だけが入れる「松下幸之助・商学院」という
全寮制の学校があり、1年間学びそこを卒業すると「明徳会会員」と呼ばれます。

 

この商学院の歴史は長く、すでに50年以上に渡り、約5000名の卒業生が輩出されています。

 

この学校を創ったのはその名の通り、松下幸之助氏。
同じ境遇の者が、同じ所で1年間
修行をすることで仲間意識が芽生え、
卒業後、仕事と人生を通じてかけがえのない仲間となる
ことを、設立時に考えておられた様です。

 

完全隔離の全寮制、朝は5時50分起床に始まり、分刻みの毎日。
気が抜ける時間は就寝前のほんのわずかな時間だけ。
私の入塾時には部屋は相部屋で、
血気盛んな青年4人が僅か4畳足らずの部屋で寝床を共にしました。

 

 

(現在は環境の整った1人部屋になっています)

 

私の入った時の商学院は全生徒約230名の大所帯(現在は20名前後)、

1クラス20名程度の10クラス編成でした。

 

 

私は大卒ではないのに10クラス中、いちばん年齢が高い大学卒業組。
しかも当時、
「鬼の鳥飼」と呼ばれるいちばん厳しい担任のクラスに入りました。

 

当時はクラス間の競争意識も高く、鳥飼先生もかなり意識されていたように覚えてます。

 

先生ご自身なんと「東京大学卒のエリート」
しかも、パナソニックに在籍されていた時には、
松下幸之助創業者から直々に指示を受けられた凄い方と聞いています。

 

「お前たちは10クラスの中で常にトップでなければならない!」

 

これが先生の当時のモットーで、定期的に行われるテストでも「70点以上」取れないと、
週に一度の日曜日、唯一の楽しみである「外出」も禁止されるほどの徹底ぶりでした。

 

19歳だった私はこの鳥飼先生が大の苦手。
若かった私はいくつもトラブルを起こし、
1年間で何度もこっぴどく叱られ、
「お前は最低の学院生や!」までも言わせるようなポンコツぶりでした。(-_-;)

 

 

しかし、後で思えばこの鳥飼先生の厳しい指導があってこそ
バカな私でも卒業する事が出来、
現在の自分がある訳で、感謝してもしきれないです。

 

そしてまた、卒業後、まさかこの鳥飼先生に助けて頂くことになり、
今では心の恩師と思う事になるとは当時はゆめゆめ思ってはいませんでした。

 

誰しもがそうなのでしょうが、一人前になるには長い人生の中、
沢山の方々から色々とサポートを受け、初めてらしくなり、
そして、そのご恩は自分たちの後輩に繋げていくのが約束事と思っています。

 

商学院を卒業後、私たちは毎年、全国で約2000名近く(少し数字はアバウトです)の
明徳会会員で2月~4月の期間、決められた商品を販売するキャンペーンに参加します。

 

3か月間のその期間に一定以上の実績を上げると「入賞」となり、
毎年6月に大津プリンスホテル、数年に一度は東京会場の表彰式に招待される事になります。

 

 

という事で、今回もパナットナカマツのお客様のご支援のお陰で入賞し、
表彰式に参加できることになりました。

 

お客様方には感謝しかありません。ありがとうございます。

 

私はこの明徳会の方々との繋がりがとても深く、
過去にセミナー講師として
全国ほとんどを廻ったこともあり、多くの仲間に恵まれています。

 

コロナの影響で全国表彰式が少しの間中断し、今年はほぼ制限なしの形で実施され、
参加する全員が全国の仲間との再会を存分に楽しみました。

 

 

全国と仲間との再会は毎回、自分自身「大きなエネルギーの充填」となり、
明日への活力へと変わります。

 

また来年も来れるように一生懸命頑張っていこうと思いながら帰路に着きました。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。
今回は少し短め?のブログになりました。